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東京地方裁判所 昭和34年(ワ)1412号 判決

原告 米林保吉

同 米林千代

右両名訴訟代理人弁護士 河野曄二

右訴訟復代理人弁護士 石黒武雄

同 今富博愛

被告 伊能操

同 京成電鉄株式会社

右代表者代表取締役 川崎千春

右両名訴訟代理人弁護士 田辺恒之

同 田辺恒貞

右訴訟復代理人弁護士 長戸路政行

主文

1  被告京成電鉄株式会社は原告米林保吉に対し金二三六、七七四円、原告米林千代に対し金二二五、〇〇〇円および右各金員に対する昭和三二年四月四日以降支払済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

2  原告らのその余の請求を棄却する。

3  訴訟費用はこれを三分し、その一を原告らの負担とし、その二を被告会社の負担とする。

4  この判決は仮りに執行することができる。

5  被告会社において前項に基いて執行しようとする債権額と同額の担保を供するときは前項の仮執行を免れることができる。

事実

≪省略≫

理由

第一、(当事者間に争のない事実)

昭和三二年四月四日午後五時頃本件踏切において被告会社に電車運転手として雇われていた被告伊能の運転する上野駅発成田駅行下り準急行電車と原告等の長女である訴外美補子(当時二九年)とが接触し同人が左頭頂部頭蓋底骨折の傷害を受けて即死したこと、本件踏切は自動踏切警報機のみ設置されてある所謂無人踏切で、事故当時はこの踏切より下り電車の進行して来る上野方面にかけて軌道に沿うて道路(中山町方面側)との境界上の枕木を利用した高さ一米八〇糎間隔三〇ないし四〇糎の木柵が相当長い距離にわたり設置されていたこと(被告会社は本件事故直後この木柵の高さを約半分に切捨てた。)、この木柵と下り軌道の間で、踏切の傍らに直径四三、五糎のコンクリート柱が立つていること、電車軌道が本件踏切と連なる軌道沿いの道路よりも約五〇糎高くなつていること、本件事故は、上野駅行上り電車が本件踏切を通過した直後に発生したものであつたことはいずれも当事者間に争がない。

第二(被告伊能の過失はない)

右第一の事実、成立に争のない甲第一〇ないし一三号証ならびに乙第一ないし第五号証、証人須田和夫の証言、被告伊能の本人尋問の結果、及び現場、スプリングコート各検証の結果を綜合すれば、被告伊能は上野発成田駅行下り三輛編成の準急行旅客電車を運転して、本件踏切の手前約二〇〇米附近において警笛を吹鳴し、前方に上り電車が来るのを認め、本件踏切附近ですれちがうであろうとの予見と、中山駅に停車する準備のために時速六〇粁位から四五粁位に減速して進行していたところ、上り電車が右踏切を通過した直後で、下り電車の前頭部から右踏切まで約三〇米の処に来たとき、突然訴外美補子外一名の女性が、下り電車の進行してきていることに気ずかず本件踏切を横断しようとして踏切内に立ち入ろうとしていることを発見、直ちに非常警笛を吹鳴するとともに、急制動の措置を講じたが及ばず、右電車に右両名を接触せしめ、訴外美補子を約一三米三〇糎先へ転倒せしめて即死させ、他の女性を踏切附近に転倒させて瀕死の重傷を負わせよつて翌日死亡せしめたこと、本件自動踏切警報機は下り電車が本件踏切の手前五、六〇米の地点を、上り電車が同じく四、五〇米の地点を各通過したときから、警鐘が断続的に鳴り、赤色灯二個が交互に点滅し、本件踏切通過後約一〇米にして止鳴し消灯する形式のものであつて、本件事故当時においてこれが故障していた事実は窺えないから、本件事故が発生した当時、本件下り電車の通過を予報するベルの吹鳴、赤色灯の点滅が続いていたと推認できること、前記のような木柵やコンクリート柱のため、本件踏切は下り電車に対する見透しが悪く、電車の外板から八五糎位離れ踏切道右端から一米の美補子が立つていたと思われる地点から下り電車を見透するには電車が一三米位近づかねば電車の前部が見えぬばかりでなく下り電車の運転台からも本件踏切中山町方面に待避する通行人の姿を確認することが困難であつたこと電車に乗つていた運転手及び乗客の須田からは美補子の顔が電車の方を向いたとは見えず前方を向いて歩き出したように見えたこと、美補子が電車に接触した後も、もし美補子が着ていたコートを電車に引つかけられて引きずられたのであれば、電車に線路上の砂利等がはねてバラバラと大きな音を立てる筈であるが、そのような音がしなかつたこと等が認められる。右事実によれば美補子は上り電車が通過したので、踏切は横断できる状態になつたものと考え、警報機の吹鳴音も、電車の轟音も通過した電車によるものと思つて注意せず、踏切の見透しが悪かつたため下り電車に気がつかずに踏切内に進もうとしたところ本件電車にはね飛ばされたと見るのが相当である。

一方被告伊能としては前方を注視していても、美補子が踏切内に立ち入ろうとしたときは三〇米の距離しかなかつたため急制動をかけても間に合わなかつたのであり、かつ、前記の木柵やコンクリート柱の遮弊物により、中山町方面から本件踏切を横断する歩行者が待避している姿を確認できなかつたのであるから、被告伊能には本件事故の発生につき過失があつたと見ることはできない。

被告伊能に過失があることを前提にする原告の請求はその余の判断を加えるまでもなく失当である。

第三(被告会社は本件踏切等の設備につき過失がある)

現場検証の結果と証人岩崎茂の証言、同証言により真正に成立したと認められる乙第六号証の一ないし五、証人山崎武夫の証言、同証言により真正に成立したと認められる乙第七号証、証人江原輝雄、同白井小夜子、同須田和夫の各証言によれば、次の事実が認められる。事件踏切の保安設備としては本件事故当時所謂第三種踏切として自動踏切警報機を設置しておくことにより、被告会社の監督官庁たる東京陸運局長の昭和二九年五月一〇日付東陸鉄監第九四号通達にある踏切保安設備設置標準に添うものであること、しかしながら右の標準は踏切の道路交通量と列車通過回数を主体とし、これに踏切の見透し状況を加味して割り出された一応の基準にとどまり、この標準に従つているからといつて保安設備が十分であるというものではなく、各踏切の具体的な状況に応じて事故の発生を防止するような措置がとられなければならないこと、ところで本件踏切近くでは軌道が周囲の土地より高くなつていて中山町方面からの道路とでは五〇糎も高さが違つているにもかかわらず更に踏切から下り電車の軌道に副つて上り方面に向い道路上に一米八〇糎の枕木が、三、四〇糎の間隔で立てられた木柵となつているため、中山町方面から踏切を横断しようとする下り電車の車体が右の木柵に遮られる上に、踏切の右方、軌道と木柵の間に直径四三・五糎のコンクリートの柱があるために更に下り電車に対する見透しが遮断され、結局コンクリート柱の内側より軌道を見透すの外なかつたこと、右のような事件当時の状況下においては下り電車外板から八五糎、踏切道の右端から約一米の地点に立つて下り軌道を注視していたと仮定すると、その立脚地点から僅か一三米位までに接近して下り電車の最前部中央を確認し得るにすぎないのであるが、右木柵をその半分位の高さに切つた現在の状態では踏切道に立つてコンクリート柱の外側から下り電車の進行して来るのを見ることができるので本件踏切の見透しの点について問題とする余地がなくなつていること、被告会社が木柵を一米八〇糎の高さにしたのは古い枕木をそのままに使用したのと、高ければ軌道内に通行人が立ち入れないであろうとの利便を考えてのことにすぎず、本件踏切の見透しを犠牲にしてまで木柵を右の高さにする合理的理由はなかつたこと、被告会社においても本件事故後間もなく木柵の高さを約半分に切つていること等が認められ、右事実から判断すると本件事故の当時に、もし現在のように木柵の高さが半分に切られていたならば美補子としては上り電車の通過により危険は去つたものとして下り電車に気づかず踏切を横断しようとして電車に接触するようなことはなかつたと考えられる。ところで本件軌道及び前記木柵、コンクリート柱が被告会社の所有にかかることは弁論の全趣旨から認められるので、美補子の本件事故による死亡は被告会社の所有する土地工作物たる本件踏切の設置に瑕疵があつたことにもその一因があるというべく、被告会社は原告らの蒙つた損害を賠償すべき責任がある。

第四(過失相殺の主張は理由がない)

本件事故は被告会社の右認定のとおりの原因により生じたものであるが、反面訴外美補子にも重大な過失があつた、すなわち前記認定事実によれば美補子が上り電車の通過したことのみに気をとられることなく、見透しは悪くとも下り電車にも注意を払つたならば本件事故は避けられたものと認められ、右程度の注意は普通人であれば可能と考えられる。美補子がこれを怠り、漫然と横断しようと下り軌道に歩みより、下り電車の進行を殊更注意を払わなかつたことはやはり同訴外人の大きな過失であるといわなければならない。

第五(被告会社の賠償すべき額)

一、過失相殺しない場合の原告らの損害額

(1)訴外美補子の得べかりし利益

原告米吉の本人尋問の結果、及びその供述により成立したと認められる甲第一、第二号証、成立に争のない甲第三号証によれば、訴外美補子は本件事故当時二九才の独身女性で、訴外中山病院薬剤師として勤務し月収一〇、五八〇円を得ており、同訴外人の一ヶ月平均消費生活費は総理府統計局の報告によれ金五、〇三二円であると推認できるので、これを控除すると年間純益金六六、五七六円をあげていたことが認められる。そして美補子が事故死しなかつたならば統計上なお余命年数四一年であることは当裁判所に顕著な事実である。そして右収入のまま職業をなおその余命期間続けると仮定すれば、右収益をホフマン式計算法に従つて算出した死亡時における一時払の額の換算は凡そ金一、四六二、六〇〇円となることは計算上明らかである。ところで右算出の基礎には以上のような仮定に基く不確定な要素があり、今これを確実に予想することは困難であるけれども、また右仮定の数額を特に大きく変更すべき特別の事情を認定すべき主張立証もないので右不確定要素を考えて訴外美補子の将来得べかりし利益喪失による損害額を金一三〇万円と認定する。

原告らが同訴外人の父母として相続人であることは成立に争のない甲第九号証により認められる。従つて原告らは右事情の下では右金額の二分の一宛を相続により承継したことになる。

(2)慰藉料額

原告米吉本人尋問の結果によれば、訴外美補子は薬剤師としての収入により、収入の少い原告米吉を扶け、父母と大学受験生である弟との四人の生活の柱となつていたことが認められ、本件事故により娘に先だたれた親としての原告らの精神的苦痛が大きかつたことは容易に推測し得るところである。その慰藉料として支払うべき額は同訴外人の職業年令を参酌の上原告ら各自につき金二〇万円をもつて相当であると認定する。

(3)葬式費用等

原告米吉本人尋問の結果、及びその供述により成立したと認められる甲第四ないし第七各号証によれば、原告米吉は訴外美補子の死亡により葬式およびその他これに伴う事柄の費用として合計金五八、九九七円を支出していること、そのうち美補子の妹が葬儀に参列するため北海道から飛行機で上京した運賃、羽田までの出迎えのタクシー代が合計一一、九〇〇円となることが認められる。しかし美補子の妹の旅費を原告米吉が負担したことは本件事故と相当因果関係があるとは認められないので、これは損害賠償から除外すべきものである。従つて右差額の金四七、〇九七円が原告米吉の蒙つた損害額となる。

二、過失相殺したうえ被告会社が原告らに支払うべき損害賠償額

しかし訴外美補子には前説示のとおり過失があつたから、被告会社としては同訴外人の死亡によつて生じた原告らの右損害についてその支払責任の幾分かを免ぜられて然るべきであるところ、当裁判所は前認定の本件事故の情況を考慮し被告会社は原告らの右損害の金額の四分の一程度を賠償すべきものと認定する。従つて被告会社は原告らに対し、右訴外人の得べかりし利益喪失による損害に対する賠償として各金一七五、〇〇〇円を、慰藉料として各金五万円を支払うべく、原告米吉に対し葬式費用その他についての損害賠償金として金一一、七七四円を支払わねばならない。

第六(結論)

以上のとおりであるから、原告らの本訴請求中、右認容の範囲の各金額に、いずれも本件事故当日である昭和三二年四月四日以降右金員支払済みに至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める部分に限り理由があるからこれを認容し、その余の請求は失当としてこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第九二条を、仮執行の宣言及びその免脱につき同法第一九六条を各適用して主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 三渕嘉子 裁判官 畔上英治 竜前三郎)

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